防衛省 土地使用を強制排除

2019年8月29日

横田南側 壊される地域の暮らし
 横田基地周辺の昭島市美堀町地域には、延べ約2万6000平方㍍に及ぶ国有地が点在しています。これまで住民が雑草除去や清掃などの自主管理しながら、約半世紀に渡り花壇や家庭菜園などに使用してきました。
今年3月、防衛省北関東防衛局は突然、国有地の「無断使用」だとして、9月末での明け渡しを一方的に通告。住民はこれまでに所管の防衛省職員が現地を訪れた際には「“ごくろうさまです”など、労をねぎらう言葉をかけてくれていたのになぜ」と、困惑を隠せません。
日本共産党の山添拓参院議員と佐藤あや子同市議は8月22日、現地を訪問し住民の声に耳を傾けました。(菅原恵子)

昭島市住民「50年管理したのに」

 美堀町地域は基地の街として、じゅうりんされてきました。1964年(昭和39年)、銭湯の更衣室の窓ガラスが米軍のF150D機のジェット機衝撃波で割れ、負傷者を出しました。同時に周辺の14件の民家の窓ガラスも割れました。この地域は横田基地から500メートルで離着陸コースの真下でした。
 ちょうどベトナム戦争が激化し、横田基地から昼夜分かたず飛び立つ軍用機の騒音に、住民の暮らしが脅かされていました。国は1964年以来、ジェット機衝撃波や騒音対策のため、民間地を買い上げて国有地化を進めました。
 この地域に50年以上居住する松井登志子さん(89)は「(国有地化による)集団移転で小学校のある学年は、3学級が1学級になりました」と切り出し、「騒音は凄まじく、夜中の12時を過ぎても途切れませんでした。騒音で眠れないので、仕事先でも一日中眠くてたまりません。流産をする人も多かったように思います」と当時の様子を振り返ります。
地域に住む別の女性も、佐藤市議に「集団移転で同級生の3分の1しか残っていない」と語っています。商店街はなくなり、子ども広場のお祭りも移転者が多く継続困難になりました。「地域の人々の暮らしを、基地が壊した」と松井さんは訴えます。

「無断使用」と青天のへきれき

 買い取られた国有地は住宅地と混在。荒地同様で雑草が伸び放題で害虫の発生地になったり、不法投棄が放置されるなど管理が行き届かずに野火が出るなど居住者の不安は大きいものでした。残る住民は自主管理を始めました。
1971年(昭和46年)頃には80人以上の住民が、土地の使用にあたり賃貸借契約を結ぼうと行政にも働きかけてきましたが、なおざりにされてきたという経緯があります。
 しかし、昨年から急に「無断使用」と記された看板が立てられ始め、住民にとっては「青天のへきれき」でした。続いて、防衛省北関東防衛施設局(防衛施設局)により一部の土地では雑草の除去が行われ、150㌢メートルのフェンスで覆われ、住宅地のあちこちがフェンスで囲まれる異様な雰囲気になっています。
 防衛施設局は「会計検査院の指摘により、国有地の無断使用は認められないとの指摘を受けての措置」と説明。現在の使用者を「無断使用」として9月中に立ち退きを求めています。また、使用者のいない土地の一部を今年7月、最長5年間で有償での使用者の公募を始めました。

基地強化の住民追い出しか

 住民の求めにより防衛施設局は8月19日、昭島市内で住民説明会を開催。住民とマスコミが多数参加しました。防衛施設局のあいさつ以降、マスコミの退出を求めたことから約1時間半にわたり紛糾。住民からこれまでの防衛施設局職員の対応への不満が語られました。ある防衛施設局職員が現地調査時、住民に対し「無断使用者を排除する」と発言したことにショックを受けたと語る人もいました。
 住民の多くは“自主管理”が一転“無断使用”とされたことに納得がいかないとし、「無断使用の文言の公文書からの撤回」を求めました。防衛施設局職員は「役人は一度出した公文書を、さかのぼって書き換えることや、撤回、なかったことにはできない」と強弁。自衛隊日報問題や森友問題での政府対応を連想したのか、参加者から失笑が漏れました。
 横田基地は福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市の5市1町(構成面積順)に跨っており、沖縄県を除くと日本最大の米軍基地。基地の大半は国有地で占められています。移転再編された航空自衛隊司令部などが2012年3月から常駐するようになり、日米両国の一大空軍基地となりました。
今年は基地内の訓練も盛んになり、米軍の特殊作戦機オスプレイが住宅地に銃口を向けるなどしています。
 説明会に参加した男性は「防衛施設局が新たに貸し出す土地の賃貸借期間を5年が上限としているので、横田基地の訓練が激化していることと合わせて基地の拡大になるのでは」と不安を募らせていました。

経過を無視し、乱暴
現地を視察した 山添拓参議院議員
 住宅街に散在する国有地は、60年代に激しさを増した米軍横田基地の騒音被害が発端であり、まさに「ベトナム戦争の傷跡」です。国が草刈りさえまともに行わないために、住民のみなさんが50年にわたり事実上管理してきました。こうした背景や経過を無視し、防衛省が突如明渡しを迫り、フェンスで囲うのはあまりに乱暴で、住民の反発を招くのは当然です。