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「人の尊厳守る政治に」 声上げる大切さ経験し

 来年(2027年)は4年に一度の統一地方選挙の年です。後半戦の区市町村議選(4月25日投票)に、日本共産党から初めて立候補を予定する新人をシリーズ(順不同)で紹介します。一回目は港区議選(定数34)に挑戦する、いわぶち美和子さん(61)です。

3年前の自分には
 「3年前の自分には思い描けなかったような、想像を絶する道をまい進しています」。看護師として医療・福祉一筋だった、いわぶちさんの人生の転機となったのは、看護部長として働いていた2023年12月のこと。病院(港区)の院長から突然、契約終了を告げられたことでした。
 有期雇用として5年目を迎え、無期雇用の転換の権利が生じる1日前の契約終了でした。理由をただしても、病院側はまともな理由を示すことができませんでした。

患者の尊厳を守る
 いわぶちさんは、高校の時から志した看護師としての仕事に、やり甲斐と誇りを持っていました。
 大事にしてきたことは「患者の尊厳を守ること」。病に倒れ約20年間も意識が戻らぬまま他界した母親の介護を通して、その思いは信念となりました。その尊厳を守る看護師の人権と尊厳を蔑ないがしろにする病院経営者に怒りを覚えました。
 いわぶちさんは一人でも加入できる労働組合「コミュニティユニオン(CU)みなと」に加入し、病院に分会を結成。交渉中に雇止めを強行されたことから、24年7月に裁判を起こし、今年7月に雇止め撤回と無期転換ルールの適用などを認めさせる勝利和解を勝ち取りました。
 「さまざまな組合の仲間が支援に駆けつけてくれました。一人がみんなのため、みんなは一人のためと支援してくれた」。
 誘われて広島で開かれた原水爆禁止世界大会にも参加し、自分が抱いていた「核抑止論は間違っている」という考えに確信を持つことができました。そんな中、共産党への入党を勧められます。
 「看護や子育てのことでいっぱいで、それ以外のことには目を閉じ、耳をふさいできました。でも自分が困ったことで初めていろいろなことが見えてきた。共産党の政策や歴史に共感もしましたし、入党にためらいはありませんでした」という
いわぶちさん。「政治的なことはまっさらだったので、それが良かったのかと思います」と笑います。

医療、争議、記者
 争議中、東京民報の記者も経験しました。
 「医療や福祉の現場で、声を上げたくても上げられない人たちを見てきました。争議では声を上げることの難しさと、その大切さを身をもって経験しました。東京民報の記者として住民の声が政治を動かす可能性を知りました。そこには事実と根拠を積み上げ、住民の願いを政治につなぐ共産党の地方議員の姿がありました」
 争議が一段落した、いわぶちさんに、共産党港地区委員会から区議選への出馬要請がありました。
 「経験の少ない自分よりもっとふさわしい人がいるのではないか。不安があったのは事実です。でも、こんな経験の少ない私に、あえて機会を与えてくれた。自分ができることを精一杯やれば、後悔するような結果はないと信じよう」。看護部長としてコロナ禍を職員一丸で乗り切ったこと、多くの仲間の支援で争議の勝利和解を勝ち取った経験、記者活動で触れた共産党議員の姿が背中を押しました。

次は誰かのために
 港区と言えば、富裕層向けの高級住宅街や国際色の強いビジネス・商業エリアが共存する都心一等地の印象が強い区です。
 いわぶちさんは9月からこの地域を歩き、住民との対話を始めています。「一見、華やかなイメージの港区ですが、一人一人の暮らしに目を向けると、見えてくる問題があります。実際、地域に入ると高齢になって暮らしに不安を抱えている人、介護や子育てに悩んでいる人、働いても生活に余裕のない人など、今の自民党政治の中で困難を抱えて暮らしている人が多くいることが分かります。住民の声を丁寧に聞き、何が問題なのかを調べ、必要な制度や行政の改善につなげていきたい」
 この2年余り、平和の問題も強く考えるようになりました。改憲の動きや急増する軍事費など、戦争への危機を肌身で感じているからです。「今日の当たり前の暮らしが、明日も必ず続くとは限りません。安心して働き、子どもが育ち、年を重ねていけること。その土台には平和があります」
 いわぶちさんには立候補への勇気をくれた座右の銘があります。「知行合一(ちこうごういつ)」です。「知ることと行動することは一つという意味で、争議を通じてその意味を深く実感しました。気付いた私が行動する。自分が経験したことを次の誰かのために生かしていく。自分の人生もそうありたい」

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