杉並区(定数48)
小池めぐみさん(39)

 「岸本聡子さんが区長に当選した瞬間、自分が無力ではないと、人生で初めて実感することができました」。こう語るのは、来春の杉並区議選(定数48)に日本共産党(現有6)から立候補を予定する小池めぐみさん(39)です。住民の力で区政転換を成し遂げたこの日を境に、区長選の一ボランティアだった小池さんが日本共産党に入党し、そして予定候補へと人生が激変するのでした。
 “予兆”はありました。東日本大震災と原発事故に前後する妊娠・出産の時です。子どもを産んだ直後に、東日本大震災と原発事故(2011年3月)が襲いました。「子どものことを思うと、放射能には過敏なぐらい神経を使いました。このとき、政治と命は直結していると感じ始めたのです。純粋に政治を信用していたのに、自分に知らされているのは全てではないかもしれない」。政治への不信と同時に関心も芽生えたのです。
 安保法制(戦争法)が社会を揺るがす大問題になった時(2015年7月)には、初めて国会前に行ってデモに参加しました。子どもができたことで、杉並区政への関心も生まれました。

声を上げる人みて
選挙ボランティア

 子育ての12年間は、田中良前区政3期12年とほぼ重なります。待機児童の解消を名目に保育園を民営化、公共施設の再編計画で14もの児童館がつぶされました。住民合意もなく強行する道路計画が何本も持ち上がりました。住民無視の区政に憤った区民が反対する会をつくるなど、住民運動が広がりました。そうした人たちが区長選(22年6月)に立ち上がり、岸本聡子さん(現区長)を推しました。
 「声をあげる人たちを見て、何もしてこなかったことに後悔の念をもちました。子どもたちは声を上げることはできない。自分が今、何もやらなかったら絶対に後悔する」。いても立ってもいられなくなった小池さんは、プラスターとのぼりを持って駅頭に立つ選挙ボランティア「サポメンひとり街宣」を引き受けます。JR高円寺駅と丸ノ内線の新高円寺駅に2週間、毎朝毎晩立って、声をからして訴えました。
 結果は現職を破っての岸本さん初当選。「人生観を変える成功体験でした。一人ひとりの力は小さいけれど無力ではない。力を合わせると大きな力になる」。そう確信した小池さん。自分の住む街の問題に、今まで以上に目が向くようになります。

「いよいよ私も共産党かー」と
 小池さんは区長選直後の参院選で、山添拓さんが当落線上だと聞いて選挙ボランティアに。街頭宣伝に行くと岸本さんを応援していた人たちがいることに驚きました。
 「誰からも入党の誘いはありませんでした。選挙が終わって声がかかった時は、『いよいよ私も共産党かー』と、ちょっとドキドキしました」。実は小池さん、「組織に入るのは苦手」でした。理由は「他人から命令されたり、何かに縛られるのが嫌い」なこと。「女だから」という考えを押しつける家父長的な父親や校則、社会に反発してきました。
 ところが共産党に入っての感想は「ますます好きになった」。「私の意見を聞いてくれる場所だなと思いました。地域支部の人たちの頑張りも知らなかった。地域で起きている問題の解決のために、自分たちで考え、行動する。つまり共産党は市民派なんですよ。すごく楽しい活動をしています」と、豪快に笑います。

あきらめている人にメッセージ
 「私がそうだったように、何かおかしいと思っても、どうしたら変えられるのか分からない人はいっぱいいます。政治は変わらないとあきらめている人にも、ダブルワークで子育てに苦労している私のような女性が選挙に出ることで、政治を自分ごととして捉えてもらい、あなたにも変えるパワーがあるというメッセージを送りたい」
 小池さんは、入党の時に区議選への立候補を希望し、9月末に上保まさたけ前区議(現杉並地区委員長)の活動地域を引き継ぐ予定候補に正式決定。現在は杉並地区ジェンダー平等推進室長です。
 「多様性を認め合うこの街が大好きです」という小池さん。目指すは「一人ひとりが大切にされて、声が届く区議会」。住民本位の区政へと歩み始めた岸本区長を支える共産党7人の区議団の実現で、希望ある杉並区にと意欲満々です。キャッチフレーズは、みんなで「#新しい景色をみよう」です。(このシリーズは長沢宏幸が担当)