千代田区(定数25)
清川まなみさん(58)

「グチをいうなら、その原因をなくせばいい」。この言葉に背中を押されて、日本共産党から飯島和子区議(5期)の後継として千代田区議選(定数25)への挑戦を決意したのは、同区内で飲食店を経営する清川まなみさん(58)です。庶民に冷たい政治に、グチを言いたくなるようなことがいっぱいあった清川さん。日本共産党に入党したてでしたが、「私がグチの原因をなくす力になればいい」との心意気で、一大決心をしました。
実は清川さん、つい3年前にも人生の転機となるような決断をしたばかりでした。長く働いてきた飲食店(神田神保町)のオーナーである、清川紘子さんとの養子縁組です。紘子さんとの出会いは34年前にさかのぼります。当時働いていた信用金庫の先輩に連れられて入った店が、たまたま紘子さん経営の飲食店だったのです。人柄に惹かれ、すっかり惚れ込んだ清川さんは、仕事を辞めて、紘子さんと二人三脚で店を切り盛りするまでになっていました。

二人の母の介護
重い負担を実感

そして3年前、体調を崩した紘子さんから「お店を守ってほしい」と請われ、養子縁組をして、飲食店の経営を引き継ぐことになったのです。ところが、折しも新型コロナウイルスの感染拡大で休業を強いられます。さらに荒川区に住む実母と養母、2人の母が体調を悪化させ、実母は入院することになりました。
コロナで店が休業中だったことで、清川さんは2人の母親の介護に専念することができたのですが、“グチ”を言いたくなるような事態に直面します。
実母の入院で、病院から言われるままに差額ベッド代を支払った清川さんは、数十万円に上る請求書を見て驚きます。「しんぶん赤旗」の集金で顔見知りだった飯島区議に相談したところ、「了解のない差額ベッド代は払わなくてもいい」とのアドバイスを受けます。そのことを特集にした「赤旗日曜版」を示して病院と交渉した結果、約30万円が返金されました。「声を上げること、行動することがいかに大切かを知りました」と清川さん。
養母が入所した区外の有料老人ホームの利用料は月45万円。あまりに負担が重く、別の施設を探しました。やっと見つけたのが、千代田区内の月25万円の特別養護老人ホームでした。
「コロナ禍でどうしたら商売を続けられるか、本当に悩みました。コロナの協力金は支給されたものの、課税対象の収入と見なされました。医療・介護の貧困さや自営業者に冷たい政治のあり方を変えたいと思うようになりました」
そんな思いを強くしていた昨年1月、飯島区議から、何度目かの日本共産党への入党の誘いがありました。「自分でできることは小さいけれど、行動しなければ」と、思い新たに入党を決意。それから間もなくして、飯島区議の後継にとの要請がありました。
「私になんかできないですよ。できると思いますか」という清川さんに、飯島さんは「大丈夫です」と、きっぱり。清川さんは悩みましたが、最後に胸に浮かんだのが「グチをいうなら原因をなくせばいい」という紘子さんの口癖だったのです。「今度は私が原因をなくす力になる」と、区政への挑戦を決断しました。

住み続けられる
千代田区に

千代田区は官庁やオフィスが集中する都心中の都心。昼間の人口約82万人に対し、住んでいる区民は約6万6000人です。バブル期の頃は地上げの嵐が吹き荒れ、人口が激減。その後、再開発などによる高層マンションが増えてからは、人口も増加に転じています。
日本共産党の区議は3人。「住み続けられる千代田区に」と、巨大都市に根を張り、条例提案権も生かして子どもの遊び場確保や、教育・保育インフラの整備に配慮した再開発などを提案し、住民とともに実現へ奮闘。高校生までの医療費無料化や高齢者の補聴器補助制度など、都内トップクラスの施策実現にも道を開いてきました。

和服を着こなし
迷いなく

清川さんが経営する飲食店も、再開発で建てられた神田神保町にそびえる高層ビルの一階にあります。
店名「カラベラ小劇場」の「カラベラ」の由来は、メキシコ(スペイン語)で「ガイコツ」のことです。「社会的地位に関係なく死は等しく訪れる」ということから、「人はみな平等」という意味も込められているとか。コロナ禍の影響もあって休業中です。
「もし、お店を営業していたら、区議選への挑戦はあり得なかったかもしれません」。和服姿で笑う清川さんは、現役の着付講師でもあります。りんと着こなすその姿に、迷いはありません。

▼清川まなみ(きよかわ・まな実)さんの略歴 1964年荒川区生まれ。桜丘女子高校(現・桜丘中学・高校)商業科卒。装道礼法きもの学院教授科卒。太陽信用金庫(現・城北信用金庫)を退職後、神田神保町で飲食店「カラベラ小劇場」で勤務、2021年から同店経営。着物着付講師。趣味は茶道(表千家)。現在、日本共産党千代田地区くらしの相談室長。