「日本社会の問題の根本にある“アメリカいいなり”“財界中心”という政治のゆがみをただし、憲法どおりの『国民が主人公』の日本をつくる」、これは日本共産党中央委員会の「あなたの入党を心からよびかけます」の文章です。これを、まさか自分が人生をかけて知らされるとは考えていませんでした。
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私は、茨城県東海村出身です。東海村には“財界中心”の象徴的存在とも言える原子力発電所があります。小学校の社会科見学では、もちろん原発を見学します。当時は無邪気に遠足気分です。一通り見学し終わったあと、職員の方への質問コーナーで、ユーモアセンスあふれる友達のY君が「燃料プールは泳げるんですか?」とわざと質問するので、みんなでゲラゲラ笑いました。私も負けじと「もし原発が爆発したら、どこまで吹っ飛びますか」と冗談のつもりで質問しました。
すると職員の方はにっこりと笑って「絶対にそんなことはありませんから安心してください」と言いました。私は答えをはぐらかされたと思い、もう一度同じ質問をしました。すると職員の方が今度は真剣な表情で「絶対にそんなことはありませんから安心してください」と同じことを言いました。シーンとなる研修室に私は「なんか聞いちゃいけないことだったのかな」とバツが悪くなったことを覚えています。
村の子どもの無邪気な質問は、数十年後、東京電力福島第1原発の事故によって実証され、質問した私自身が打ちのめされたのでした。
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高校卒業後、進学のため村を離れ、神奈川県相模原市に移り住みました。そこではじめて“アメリカいいなり”の象徴とも言える「米軍基地」に出合います。
厚木基地、座間キャンプ、相模総合補給廠(しょう)、近所にさまざまな基地がありました。基地問題に対する平和運動や民主的な団体にも出合い多くのことを学びました。『パパママバイバイ』(早乙女勝元著)で有名な横浜米軍機墜落事件も学びました。
シンガーソングライターの横井久美子さんのコンサートに取り組む中で「戦車は動けない」という曲をきっかけに、ベトナム戦争時代の「戦車闘争」(相模原補給廠から輸送される米軍戦車を市民が阻止した)のことも学びました。
2015年の相模総合補給廠での倉庫爆発火災の時は、フェンス一枚隔てた団地に住んでいて、あまりの爆音に驚き、夜中に着の身着のまま車で避難したこともありました。
その後、家庭の事情で東京都福生市に引っ越しましたが、そこにも巨大な米軍基地、横田基地がありました。
市毛雅大(いちげ・まさひろ) 日本共産党東京・福生(ふっさ)市議。1979年生まれ。昭和音楽短期大学卒。2019年4月、市議に初当選
(「しんぶん赤旗」2022年6月22日付より)