政治壊す国家の私物化 安倍政権  妄想だけの「美しい国」
 政治学者で上智大学教授の中野晃一さんは、安倍政権のもとで起きた権力の私物化のさまざまな問題や、政党政治の現状を分析する『私物化される国家』(角川新書)を2月に出版しました。日本政治の現状、安倍政権を倒す運動の今後について聞きました。
(聞き手・荒金哲 写真・田沼洋一)

 ―『私物化される国家』を出版した動機は。
 
 2015年に、『右傾化する日本政治』(岩波新書)を出しました。そこでは、安倍政権のもとで進む右傾化を、「新自由主義と復古的国家主義が一緒になった“新右派転換”」と分析しました。その後、安倍政権のもと、右傾化は行くところまで行った感覚があります。他方、安倍政権には従来の保守政治との質的な違いもあります。
 
 例えば安倍政権では、原発や武器輸出を政官業が癒着して、一体化した形で進めています。これは「徹底した市場原理を進める」という、教科書的な新自由主義の発想でいえば、最も嫌うことでしょう。むしろ重商主義といっても良い。こうしたことが、なぜ起きるのか気になっていました。
 
 ―そこに「私物化」が生まれている、と。
 
 森友・加計疑惑、公文書改ざんなどをめぐって、「私物化」が現代の政治の問題点をあらわす言葉として、注目されてきました。しかし、国家の私物化が突然出てきたわけではありません。むしろ、一部の特権的な少数派のエリートによる支配は、程度の差こそあれ世界的な現象です。
 
 私の見方をやや乱暴にまとめると、新自由主義=ネオリベラリズムが、社会や経済を焼き尽くして焦土となったところに、反自由主義=アンチリベラリズムが出てきたということです。それにより国家の少数派支配=私物化を招いています。
 
 私物化という言葉を英語でいうとすると、「プライベタリゼーション」でしょう。これは、通常、民営化と訳されます。民営化というと、民に任せるならよいではないかとなりますが、それは私有化、私物化でもあります。
 
 「公」の空間は、さまざまな個人、少数派も含めた多元的な人がいて、そうした個々の尊厳が前提となっています。新自由主義の下、公共セクター(分野)を次々と破壊して民間に移しました。多元的な公共性が蝕まれたところに、一元的な権力者による支配というアンチリベラル、私物化の政治が生まれたのがいまの状況です。
 
際限ない歴史修正

 ―本では、安倍首相の立場を、ギターを持たず演奏しているように演じる「エアギター」になぞらえ、エアナショナリズムと呼ばれています。
 
 安倍さんの政治的な特徴をあらわす際、岸信介さんの孫であることがよく言われます。しかし、当然ながら二人が政権についた時期は、50年ほどの時間の差があります。
 
 一つの大きな違いは、安倍首相は戦後生まれで、岸さんにあったような、リアリティのある戦争体験がないことです。岸さん、中曽根康弘さんなどの右翼政治家は、戦争体験があるため、日本の戦争責任を否定するような歴史修正主義にもおのずと限度がありました。他方、安倍首相など戦争体験のない右翼政治家は、歴史修正主義に歯止めがなく、妄想に際限がありません。
 
 もう一つの安倍さんと岸さんの大きな違いは、安倍さんは1993年初当選でポスト冷戦期の政治家だということです。
 
 冷戦期の政治家は、革新勢力が一定の強さを持つ中で、保守といえども改憲を棚上げするなど、中道に寄った政治をせざるを得ませんでした。岸さんも、戦前の革新官僚で、戦後も最低賃金や年金制度の基礎をつくりました。それは、かつて陸軍相の提唱で厚生省ができたように、健康な兵隊、国民を国家のために動員しようという視点です。
 
 他方、安倍さんは小泉改革以降の新自由主義を経た政治家で、岸さんのような国家が国民を統合するために、一定の経済政策、社会政策をする視点がありません。働き方改革などを見ても、人々を使えるだけ使おうというものです。安倍政権では、国家というシンボルが強調されるのに、歴史観でも社会経済政策でも、妄想の域を出ず、何をもっての国家なのかが見えてきません。「美しい国」といっても空想的で中身がない。私がエアナショナリズムと呼ぶのは、そうした特徴です。
 
 この間、明らかになった私物化問題でも、安倍さんに国家への思い入れが本当にあれば、一代の政権で、これだけ官僚制を壊し、国家に対する国民の信用を失ってしまうことがあるでしょうか。
政党政治が危機に
 
 ―安倍政権への批判の高まりの一方で、政権を変える展望が見えないという人も多くいます。
 
 個人的なことでいえば、一介の研究者だった私が、市民運動に参加するようになったのは、2012年12月に安倍政権が生まれ、政党政治が危機に陥ってしまったためです。政党政治が機能しない状態のなかで、政権交代の展望が見えにくいというのは、まさにその通りだと思います。
 
 なぜ、そうなってしまったのか。中曽根政権以来、80年代後半から90年代にかけ、政治の新自由主義転換が進みました。
 
 小選挙区制度の導入や、中央省庁再編による官邸機能の強化、政務三役制度の導入など、いわゆる政治家主導、首相のリーダーシップ強化が進められました。
 
 そこで目指されたのは、選挙でマニフェストなどを通じて、二大政党が政策のメニューを競う仕組みです。消費者になぞらえられた有権者が購買するように政党を選び、選ばれた政党はサービスをお届けする。もし気に入らなければ、次の選挙で敗北する。マーケットや企業行動になぞらえた仕組みですが、むしろ政治の矮小化です。
 
 ―欧米の経営者のような強い首相を求めてきたということですね。
 
 戦後の日本の政治がバラ色だったとは思いませんが、一定の多元性がありました。野党が一定の力を持ち、官僚や族議員も総理の好き勝手にはさせなかった。
 
 それでは改革が進まないと、権力を一元的にしたのが新自由主義の改革です。強い総理が、小選挙区で上げ底された議席数を持ち、意図的にチェック・アンド・バランスの仕組みを壊したのです。それでも二大政党があって、選挙でチェック・アンド・バランスが働く、だからやりすぎにはならないという理屈でした。
 
 しかし実際には、二大政党が壊れてしまいました。自民党が政権復帰した12年の選挙での得票は、民主党に惨敗して政権を転落した09年より少ないものです。票を減らしたのに、民主党がそれ以上に減らした結果、小選挙区の作用で大勝しました。